決める側の手が、いまも動いております
一方で、館の卓に立つ一人の執事でもあり続けておられます。仕組みを決める者が現場を離れてしまえば、決まりごとは机の上のものになる。館で紅茶が供される速さや、扉の前で一歩先に動く間合いが、書かれた基準と食い違わないのは、決める側の手が今も動いているからでございます。
館について、本人が書いた文章もございます
Queen's Butlerの館について、本人が書いた文章もございます。館内にお客様だけを残さないこと、鍵をお渡ししないこと。この決まりが調度を守るためだけでなく、迎え、伺い、整え、控え、見送るという執事の仕事を途切れさせないためのものだと、館を預かる立場から述べられております。
影ではなく、光を支える。館の執事が控える理由
催しで喝采を受けるのは主であって執事ではない。執事の仕事の出来は、終わったあとに「そういえば執事がいた」と思い出されるくらい自然だったかどうかで測られる。執事ベルの執事論はここから始まります。目立たないことは遠慮ではなく、職能そのものの設計だという考えでございます。
沈黙を選べるかどうかは、相手を見ているかどうかで決まる。
心だけでも、技だけでも足りません
もてなしは、思いやる心と確かな技が同時に働いて初めて形になる。心だけでは場が乱れ、技だけでは押しつけになる。所作の反復から訓練が始まるのは、技を体に入れておかなければ心を相手に向ける余裕が生まれないからだと本人は説きます。
輸入ではなく、翻訳でございます
英国で育った執事の型を土台にしながら、靴を脱ぐ玄関、畳と椅子が同居する部屋、控えめを良しとする感覚に合わせて型を組み替える。輸入ではなく翻訳。そして、話しかけないという判断も執事の仕事である。館で執事が銀のベルが鳴るまで言葉を挟まずに待つのは、この考えを日々実践しているからでございます。
頭取でありながら、今も館に立ち続けています
執事ベルは協会の頭取であると同時に、ハウススチュワードとして名簿に名を連ね、現場に立ち続けております。依頼主の傍らで学ぶことをやめれば、語る言葉から真実が消える。そう考えているからでございます。
同じ青海の館で
執事ベルの公式サイトの扉を飾る執事サロンの食卓と、お嬢様を迎える館の正餐の間は、同じお台場・青海にございます。二つの部屋は歩いて行き来できる距離にあり、稽古と本番はいつも隣り合っております。
本人は館を「別の入口」と位置づけております
本人の公式サイトには、協会頭取の立場からQueen's Butlerを紹介する一文があり、そこでは館が「女性に向けて執事のもてなしと執事文化を届ける事業」であり、「依頼して仕えてもらう形とは別の入口」だと位置づけられております。館の側から言い換えれば、執事を頼む前に、執事に仕えられる時間そのものを味わっていただく場でございます。
館の執事は全員、この人物の研修と認定を経ております
館に在籍する男性の執事も女性の執事も、執事ベルが率いる協会の研修と認定を経ております。お嬢様が館で受け取る所作は、この人物の考えを通って形になったものでございます。
本人の言葉は、公式サイトでお読みください
本ページは館の側から執事ベルという人物を紹介したものでございます。経歴の詳細、哲学の全文、執事の知恵の各記事、講座と講演の案内、出演と監修の記録は、公式サイト butlerbell.jp が本人の手で更新されております。
窓口は、それぞれ分かれております
執事のご依頼はTHE BUTLERの窓口、館のご予約はQueen's Butler、取材や講演のご相談は公式サイトのお問い合わせと、窓口はそれぞれ分かれております。
読むだけでなく、館で確かめていただけます
館の側から一つ申し添えるなら、執事ベルの言葉は読むだけでなく、館で確かめていただけるということでございます。銀のベルが鳴るまで言葉を挟まない執事、扉の前で半歩先に動く執事。公式サイトで読んだ一節が館のどの場面に当たるのかを探しながらお過ごしいただくのも、館の楽しみ方の一つでございます。
館から語れることと、本人の言葉で読んでいただくこと
扱える範囲を並べました。